心理知識のみならず実務経験、職業・私生活を通しての感情体験豊富な、Cocoloラーニングアカデミーが推奨する人間味あるカウンセラー陣です。
カウンセラー | 主な資格、得意分野 |
原 つよし (はら つよし) |
精神保健福祉士、公認心理師
喪失感(失恋、離婚、死別、失業、ペットロスなど)における悩み、精神疾患(うつ、不安障害、適応障害)、生きづらさ、ひきこもり、介護など、 |
一ノ瀬 叶愛 (いちのせ かなえ) |
産業カウンセラー、キャリアコンサルタント(国家資格) NLPプラクティショナー、米国催眠療法協会認定ヒプノセラピスト 職場、プライベート、家庭内(子供・夫婦)の対人関係での悩み、 |
カウンセラー 原 つよし
経 歴
神奈川県出身
自身の離婚経験から、夫婦問題カウンセラーを志し、離婚カウンセラースクール、心理カウンセラースクールにて民間資格取得後、NPO法人、社会福祉法人にて実践の経験を積み、2011年に夫婦問題専門の相談室「feel」を開設。
相談内容は、浮気、不倫、DV,モラルハラスメント等現実に起きている問題解決と夫婦関係修復が主であるが、うつや依存症等、精神を患い修復に至らず、離婚後も立ち直れず悩み、苦しんでいる方の相談が多くなる。
様々な相談に対応するために精神疾患や福祉、心理カウンセリング技術を専門学校や大学で学び「精神保健福祉士」「公認心理師」の国家資格を取得。
コロナ禍以降は、児童相談所、精神保健福祉センター、ひきこもり支援、自殺対策相談等公的機関での電話、SNSの相談員として、約数千件の相談に対応。
年齢層は10代から80代まで幅広く、相談内容は、死にたい、消えたいという内容から、生きづらさ、精神疾患、ひきこもり、喪失体験、トラウマ、DV,虐待、生活困窮など様々な相談事例に向き合い、実践でスキルアップをし続けている。
また、障害者施設で生活支援としての経験も積み、現場で障がい者とそのご家族との関わりから当事者から直接多くを学ぶ。
カウンセラーに至る職業体験、人間関係もカウンセリングでの姿勢に活かされている。
(大学卒業後、医薬品商社、クレジット会社でサラリーマンを10年間経験の後、保険会社代理店として独立、13年自営業経験。深夜のトラックドライバーとしての3年間。)
【 主な資格】
・精神保健福祉士(国家資格)
・公認心理師(国家資格)
ご挨拶
はじめまして。ご覧くださりありがとうございます。
私が今、カウンセラー活動をするまでに至る経緯を通して、想いについてお話したいと思います。
平穏な日常から
ビジネスの失敗、そして離婚
29歳で結婚、2人の子どもを授かり、仕事も家庭も順風満帆な生活を送っていた。しかし、妻に話してなかった借金(ビジネスでの失敗)の発覚がきっかけで、お互い感情的になり、話し合いもほとんどしないまま43歳の時に離婚。
借金の発覚は‘きっかけ‘であって、離婚の本当の理由は妻が日々の暮らしにおいて、我慢し続けてきたことにあると離婚後気がつき、自己嫌悪、後悔、自信喪失に陥る。
後悔だらけの離婚
失業、膨らむ借金
子どもとの面会もできず、毎晩子どもの夢をみては涙で目を覚ます日々。耐えきれず、面会を求めて調停を起こす。
子どもと会えない寂しさ、孤独感、罪悪感に苦しみ、身体も動けなくなり、借金は膨らみ、闇金にまで手を出すことになる。 人と話すことが困難になり、決局、仕事も続けられず、約1年近くひきこもり生活。当然借金は膨らむ一方。
全てを失ったあと残ったものは…
「借金」「孤独感」「うつ状態」「希死念慮」…
しかし、子供を支えに…
取立てなどの恐怖も重なったことで、さらに精神的、経済的にどん底状態に陥る。結果、うつ状態となり、毎日死を考えるほど落ち込む。
「生きる価値もない」「希望もない」「死にたい」「消えてしまいたい」
頭をよぎるのはそんなことばかりの毎日・・・・
死を考えた時に、子どもと会いたい気持ちが捨てきれず、いつの日か「子どもと会える日」を心の支えに、時間とともになんとか立ち直ろうという気持ちがでてくる。
借金返済し地獄からの生還
夫婦問題カウンセラーへの道を歩み始める
その後、深夜のトラックドライバーとして3年間働き、借金を完済する。ドライバー仲間の生き様に刺激を受け、徐々に精神的にも立ち直る。仕事と人生の再構築を目指し、自身の経験を活かした夫婦問題のカウンセラーを志す。離婚カウンセラースクール、心理カウンセラースクールにて資格取得。
NPO法人、社会福祉法人にて研修、電話相談の実務を経験後、「feel相談室」を開設し独立。3年間で約500件の夫婦問題に取り組む。
離婚から立ち直る人のカウンセリングを始める
離婚が原因によるうつ病
依存症、グリーフケアの知識を学ぶ
夫婦問題に取り組む中で、浮気・不倫、暴力、借金など「現実に起きている問題」とそれが原因の「うつや不安障害」「依存症」「精神障害」等を同時に抱えてしまう相談者が多いことを知る。
離婚後も、心の傷を癒すことができないため立ち直れず、新たな人生の一歩を踏み出せないまま苦しんでいる人が思いのほか多く、離婚から立ち直るためのカウンセリングが徐々に増える。
それらに対応するための更なるスキルアップが必要と考え、大学でグリーフケアを1年半学び、福祉の専門学校に1年通学し、精神保健福祉士の国家資格を取得する。
また、依存症専門の施設主催のアディクションカウンセラー養成講座を1年間受講。
「離婚うつから脱出」の専門カウンセラーとして
相談者さんの傷ついた心の回復と人生再構築を目指す!
現在は「離婚(喪失体験)」「依存症」「うつ病」からの回復に特化したカウンセリングに取り組んでいる。
「人は誰でも心の治癒力(回復力)を持っている」
「人は人によって傷つけられるが、人によって傷や悲しみは癒され、回復できる」をモットーに、日々研鑽し、実践に取り組んでいる。
~ 原つよしのブログ ♪ ~
◇離婚からの立ち直り
◇生きづらさ・うつ・喪失体験…カウンセラーが綴るブログ
カウンセラー 一ノ瀬 叶愛
経 歴
北海道出身
短期大学で栄養士免許取得。卒業後は食の世界には進まずビルメンテナンス会社に営業職として入社。
22歳の時、社内結婚を機に退職。23歳で息子を出産。子育てをしつつ社宅住まいの中で人間関係の複雑さを学ぶ。
子供を保育園に預け社会復帰し、総務事務、インフラ工事図面の製図の仕事にパートタイムで就業。
息子の中学校入学を機に正社員就業に切り替えるため、精密機器の会社に設計職として転職。
しかし、入学後程なくして息子が不登校となり、昼休みに自宅と職場を往復する日々を送る。
不安を抱えながら約1年の年月を経て、本人の成長により登校再開。
自身の課題解決のため12年勤めた会社を退職し、夫、子供を残しひとり九州へ転居し、生き方を見直す。
幼少期からの箱入り娘ならぬ『枠入り娘』を卒業し、家族のもとに帰宅。
~カウンセラーの道へ~
奇しくもコロナ禍、自分と向き合いながら、自分と同じように愛着障害などの悩みを抱える人に寄り添うため、カウンセラーの道を決意し、カウンセリング手法や心理学を学ぶ。
産業カウンセラーをきっかけにキャリアコンサルタント(国家資格)、SNSカウンセラー、認知行動療法、NLP(神経言語プログラミング)、催眠療法など様々な心理や、カウンセラーとして独立開業に向け、日商簿記2級資格取得も独学で取得する。
公的機関での電話相談や人材派遣会社での対人業務で実務経験を積み、2024年春カウンセラーとして独立開業。
カウンセリングでは、職場、プライベート、家庭内(子供・夫婦)の対人関係での悩み、愛着障害、不安症の方も専門とする他、キャリアの分断を余儀なくされる『女性』に寄り添い、自分らしい生き方を支援するためのキャリア相談を専門としている。
【 主な資格】
・産業カウンセラー、キャリアコンサルタント(国家資格)、NLPプラクティショナー、米国催眠療法協会認定ヒプノセラピスト
ご挨拶
はじめまして。ご覧くださいましてありがとうございます。一ノ瀬 叶愛です。
カウンセリングでは、ひとりひとりに心から寄り添うことをモットーに活動しています。彷徨う心の苦しみ、悲しみを抱えてる方や、より自分らしく生きるためのキャリア相談、どのような方もお気軽にご相談ください。
私が今、カウンセラー活動をするに至った出来事についてお話したいと思います。
振り返ると私自身、「自分らしく生きるとは?」が常にテーマであったようなこれまでの人生。様々な体験が今では学びとなっています。
厳格な親、社宅住まいでの心労…
小さい頃は、どちらかと言えば内気な性格でした。
年子の兄に手がかかったこともあり、母はわたしは何でもできる子だと思っていたようです。
転校を機に、明るく元気な性格へとシフトさせることで環境の変化に対応しました。
幸い友人にも恵まれ、誰とでも仲良くなれる社交性を身につけたものの、両親の厳しい規則と過干渉の中で、箱入り娘ならぬ『枠入り娘』として学生時代を過ごしました。
それは社会人になってからも続き、門限は23時、遅れると玄関で正座させられ、叱責されるような家庭でした。
両親から責められずに自由を手に入れる方法は、結婚しかないと思うようになり、実家で得られなかった穏やかな居場所を求め22歳で結婚。
会社の社宅で始まった生活は、役割や周囲の目、噂話などストレスを感じることもありました。
幸い直ぐに妊娠。息子が生まれたものの、子供が子供を育てる状況。夫も仕事柄夜勤もありサポートは望めず、今で言うワンオペ育児。
実家の母は孫の面倒より自分の趣味を優先するタイプだったため、頼れるのは社宅でできた少ないママ友のみでした。遠くの親戚より近くの他人です。
子供との関わりを通して自分の課題に気づくことに…
息子を保育園に預けパートタイムで働き出します。
中学入学を機に正社員になるも不登校に…
仕事の負担が増えたところに息子の対応。
不安と苛立ちで夫を責め、息子を叱る毎日。
学校に行ってくれさえすればという考え方は、世間体を重視する実家の教えそのものでした。
息子の気持ちや話さない理由を理解する余裕もなく、自分のことしか見えていない状態でした。
1年経った頃、息子が急に学校に行くと言い出しました。本人の中で何か大きな成長があったのでしょう。登校を再開し、その後無事進学しました。
でもこれが、自分の課題に気づくきっかけとなったのです。
仕事で責任ある立場になると、社員から様々な相談を受けるようになりました。
もともと困ってる人を放っておけない性格。それが裏目に出ることもありましたが、信頼して話してくれた人のためにできる限りの改善をしてきました。
女性からはプライベートな相談も受けるようになり、人の話を聴くことの難しさとやりがいを見出すようになります。
初の単身生活。自分の生き方を見直す‥
仕事は充実していたものの、子供との関わりから気づいた自分自身の課題は『自立』
このまま家にいては解決出来ないと判断し、直ぐに帰れるような場所ではなく、遠く離れた場所を求め転職。唯一友人のいた福岡にひとりで転居しました。
生まれて半世紀も経ってから、初めて経験する一人暮らし。自由と同時に責任や不安も襲いかかり、人生で初めてホームシックを経験しました。
慣れない仕事や環境の変化で適応障害となったタイミングで、父と兄が同時期に入院。
これはもう帰れという啓示だろうということで、多くの経験を胸に、短いワーキングホリデーは終了。
帰れる家がある幸せを噛み締め帰宅することとなりました。
自分に向き合い、自分の課題解決に…
奇しくもコロナ禍。自分と向き合いながらカウンセリングや心理学を学ぶ中で、様々な資格を取得し、自分には別の課題があることに気づきました。
条件付きでしか愛されなかったことによる愛着障害や、完璧でなけらばならないという禁止令による強い不安感などがあったのです。
自分を知ることで納得感と解放感が得られ、親に対しても愛と感謝の気持ちを持つことができるようになったことは、大きな喜びでした。
親には親なりの苦しみがあり、課題を抱えたひとりの人間だったと知り、労りの気持ちを持つことができたのです。
その後は、公的機関での電話相談や人材派遣会社での対人業務で実務経験を積み、個人事業主として開業。現在に至ります。
若くして結婚したものの、子供はひとりっ子。子供のいる幸せと、子供が出来ない辛さを知ったこと、様々な職種や業種を経験しキャリアを積んだことは、同じような悩みや苦しい思いを抱える人に寄り添うためだったのだと、今は確信しています。
全ての出来事にはきっと意味があります。
あなたと出会える日を心から楽しみにしています。